「その時」をどう乗り越えるか
Facebookに書こうとして、長くなりそう、そうだこれブログに書いてみようかな、と思いまして。
いつもとは趣が違いますが、こころのきろくです。
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朝PCを立ち上げてメールチェックしたら、Googleアラートに引っかけた記事のチェックをするのが日課です。
特に学術広報、研究支援、IR(Institutional Research)トピックのわくわく感はすごい。
すてきな研究成果発信をしてるようすを見たりすると、それだけできもちがぐぐっと上がります。
図書館の仕事が長くなったせいか、このわくわく感は今の仕事にリンクさせたものと言うよりも、次に異動したらこんな仕事がしたい、こんなことやってみたら絶対面白いよね、の貯金をしてるのだろうな、と思うことがあります。
そろそろ、新しいことがしたい。
最近、次に向かう場所のことをよく考えます。
自分が望んでいるものではない次の道がなんとなく見えはじめていて、その時が来たら果たして自分を保てるか、不安感というか、怒りにも似た黒い感情がちょくちょく襲ってきて。
大学職員の仕事は異動によってその内容が180度変わる特殊さがあるような気がしています。図書館から財務、教務、学生支援、施設管理、経営企画へ仕事を移したひとも多々見てきました。その逆も然り。私も全くの畑違いな部署から図書館にやってきて、大学職員(特に私立大学)の異動はある意味転職に近いものがある、と感じたりもしました。
しかし。キャリアプランをうまく描けなくても、ジェネラリストということばにジレンマを感じつつも、皆うまく折り合いをつけて与えられた場所で自分の役割を誠実に果たしています。
果たしてわたしにはそれができるだろうか。楽しく仕事するために、楽しく生きるために、異動という「その時」をどう乗り越えるか。
大袈裟かもしれないけど、仕事が生活の中心になってるわたしにとっては切実な問題だったりします。
きょうはそんなことに思いを巡らすような会議が続いたからか、今夜はなおさら考えてしまうのでした。
うーん、ネガティブだ。
ほんと、みんなどう折り合いをつけてるのだろ。不思議でたまらない。お願い誰かおしえて!
とか思っていたら。大好きなブロガーさんのこちらの記事を見かけて、おもわずおおっ、と声が出てしまいました。
"夢とか目標って、自分の人生を前にドライブするために必要なアクセルみたいなもので、背中をぐんと押してくれる力があるものだし、それがないと、がんばれない。でも、それと同時に、守るもの、ネガティブな言い方をすれば、重荷、みたいなものがあることで、堪えることができたり、踏ん張りがきいたりするのかもしれない"
ああ、これだ。わたしには「重荷」がなくて、ただこうなりたいと願うものしかないから、目標を見失いそうになっただけで簡単に軸がブレて揺らいでしまうんだ。
「重荷」は必ずしも家族や子どもでなければならないわけでもなくて。それは揺るぎない信念やプライドだったり、心地よいと思える社会的な居場所だったり。
わたしにとっての「重荷」ってなんだろう。それを見つけることから始めてみよう、と思いました。
(なんだか読書感想文みたいになってしまった…)